生きるのが怖いから、愛し合う
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最終更新日:2019/12/10
名言
あの刑事たちはもう、東京に帰ったのだろうか。それともまだ、この金沢で、あれこれ嗅ぎまわっているのだろうか。
風子が人を殺した。見知らぬ男と夫を。二人も。
そんな、信じられないわ、と言えない自分に多恵は気づいている。
もちろん、風子が昔から人殺しも当たり前というような不良だったとか、残酷な人間だったわけではない。むしろ風子は、小さな生き物や花などに優しかった。小学生の頃、花壇の雑草を引き抜くにも躊躇って悲しそうな顔をしている女の子だった。雑草にも命があるのに、と咳いて。
でも。
人の心に潜む悪意は、時として、人の命を雑草のそれよりも疎ましいと感じさせる負の力を持つものだ。
アパートの一室で顔を潰された男の死体が発見された。部屋の借主である高見健児と風子の夫婦は行方不明。翌々日、高見の絞殺死体が見つかるが、風子は依然姿を消したまま。刑事・遠野要は、風子の過去を追ううちに、忘れ得ぬ出来事の相手が風子であると気づく。
生きるのが怖いから、愛し合う。死ぬのが怖いから、愛し合う。けれど、どんなに愛し合っても最後はひとり。男と女の愛憎を描き、人間性の根源を問う。
愛とは何か、人間性とは何かを真摯に問い掛ける。
秋桜はあまり好きな花ではない。
秋桜の種など蒔いたおぼえはまったくないのに、それは今、庭の片隅でピンク色の花を風に揺らしている。
そう言えば、近所の家の庭先で昨年、秋桜を見た記憶があった。玄関の前に出したフラワーボックス一杯に咲き誇っていたピンクや白の花の群れ。秋桜には雑草の面影がある。どんなに密集させて種を蒔いてもしぶとくどれもこれも花をつけるし、花の寿命も長く、しかも次々と蕾をつける。世間の人々はあの花を可憐だとか慎ましいだとか思うらしいが、多恵にはたまらなく図々しく下品に思われた。たいして世話もしないのに毎年毎年、知らぬうちに伸びて咲き誇る野生。
種が風に飛び、この庭にまで入り込んだのだ。このままにしておけば、この庭は秋桜に占領されてしまうかもしれない。多恵は身震いしてサンダルをつっかけ、庭におりた。
それでも、引っこ抜いた秋桜をゴミ箱に捨ててしまうのはしのびない。キッチンに持ち帰り、花鋏で茎を切って花瓶に活ける。こうしてしまえば、余命は数日。
昔、片町時代に客からすすめられて読んだ恋愛小説では、男と女は抱き合い、互いのからだを確かめ合うことさえすれば、わかり合える、と書いてあった。だがそんなことはまるきり、嘘なのだ。
からだを重ねることは、錯覚を育てるだけのこと。わかったようなつもりになれる、それだけのこと。
それでも、手を繋いでいるのは楽しかった。こんな時、こんな状況で何かを楽しんでいる自分が、ひどく奇妙だ。
ブランチ。 pic.twitter.com/vuFy5Wdmxf
— 柴田よしき (@shibatay) 2015, 1月 24
「考えたら馬鹿みたいだ。でも俺を笑うなら、あんただって充分滑稽だよ。あんたには自分ってもんがどこにもない。あんたはただ、行き当たりばったりに自分を抱いた男に惚れた気になってるだけなんだ。それでその男に尽くすことで全部ごまかしてる。要するにあんたは相手の男のことなんか、これっぽっちも考えてやしないんだ。あんたが求めてたのは、寝心地が良くていい夢の見られる頑丈な腕枕なんだよ。そして俺が欲しかったのは、やっぱり寝心地が良くていい夢が見られる膝枕だった。どうしてあんたのことがこんなに… こんなに好きなのか、やっとわかったよ。俺とあんたは似てる。いや、裏表だ。どっちが裏か表かはわからないけど、俺は男って側にいて、背中合わせにあんたは女って側にいる。でも俺もあんたも、考えているのは自分のことだけなんだ」
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