われら九人の戦鬼
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最終更新日:2019/12/10
名言
傑作「眠狂四郎無頼控」をはじめ、不羈の想像力を駆使した数々の作品でひろく大衆の心をうち、ロマンの新しい地平を切り拓いた柴田錬三郎。
1917年(大正6年)3月26日生まれ、1978年(昭和53年)6月30日没。
柴田錬三郎は通称シバレン(柴錬)と呼ばれ、『イエスの裔』は芥川賞と直木賞の両方の候補となったが天秤にかけて直木賞を受賞し、代表作の『眠狂四郎』以外にも『御家人斬九郎』『水滸伝』『徳川太平記』など戦国・幕末を扱った作品が多く、剣客ブームを巻き起こしました。
今でも読み継がれるシバレン作品からその一端をご覧いただきましょう。
老僧は、うなずいた。
「三十年前、斑鳩寺の門前で、ひろって、育ててくれた。ニ十歳まで育てて、その性の悪に愛想をつかして、追うた。剣に、異常の天賦はあった」
「・・・・・・・・・・」
「噂にきいただけでも、この十年のあいだに、二十七人の兵法者と試合をして、一人のこらず、斬って居る。その強さは比類がない、と申せる。・・・だが、人間である限り、永久に無敵でであることは許されぬ。一度は、敗れなければならぬ。敗れることによって、おのが身に限りのあることを知らねばならぬ。人間は、万能ではない。日月に私照はない。九十九谷左近は、あるいは、その技に於て、お許よりも秀れて居るかも知れぬ。しかし、その驕は、必ず、不覚を招かざるを得まい」
「・・・・・・・・・・」
「七年前、お許は、このおいぼれの一本の細杖に翻弄された。巧の偽は、拙の誠に如かず―― それだけのことであった。こんどは、それを、お許が、左近にむかって、示す番であろうかな」
「・・・・・・・・・・」
「お前は、これまで、そういう努力を、爪のカケラほども、払ったことがないらしい。幼くして、食うためにおぼえたのは、盗みであろう。そうじゃな?」
「へい」
「お前は、働いて、生きるというすべを、さけた。それが、いちばん安易な生きかたじゃからな。パクチで、他人から金をまきあげる。それも、必死になってやるのではなく、手妻をつかって、人の目をごまかして、まきあげる。パクチという遊びにすらも、お前は、最も安易な手段をえらんで居る。仇討をするのも、自分ではやらずに、他人の力を借りる。人間として、下の下だ」
「そうであろう。復讐をしとげたところで、殺ぎ落された耳朶は、生えて参らぬからな」
「う、うん― 勿論、それは、そうだが……」
「お前は、まだ、死ぬか生きるか、ギリギリに切羽詰ったところへ、追い込まれたことがない。それが、お前という男に、真剣に生きる、ということが、どんなものか、さとらせて居らぬ」
「たしかに、ち、ちがいねえ」
「わしが、一度、お前を、どこかの牢獄へほうり込んで、十日ばかり、水を与えずにおく試練を加えてやればよいのじゃが……」
「と、とんでもねえ!」
百平太は、あわてて、手をぶってから、あらためて、両手をつくと、
「和尚さん、弟子にして下され。おれは、心がけをあらためます」と、願った。
『われら九人の戦鬼』はテレビ番組にもなり、結束信二の脚本で、1966年1月7日から同年7月5日までテレビ朝日系列で放映されました。
城内にあっては、天満坊は、夜に入っても、悠然と構えて、いささかも、事を急ごうとしなかった。
太郎が、そっと入って来て、
「この城内に、御坊を知る兵法者がいるのに、どうして、そのように、おちつかれて居る?」
と、なじった。
天満坊は、にこりとして、
「見物人が、居ってはいかぬかな?」
と、云った。
「見物人!?」
「左様さの。あの九十九谷左近は、わしらが贋使者であることを、城主に注進するような、卑劣者ではない。冷酷きわまる性情を持った剣鬼じゃが、その点だけは、
信用できる」
「わかるものではない」
「太郎殿、お手前は、かなり疑いぶかい御仁じゃが、事を為すにあたっては、信ずべき者と信じ難い者を看わける目は、必要じゃな」
「あの兵法者は、信用できぬ。なぜ、斬ってしまわなかったのか… 大事を行う上には、用心の上にも用心が、肝要であろうものを― 」
いまいましげに、太郎は、云って、しりぞいた。
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