熱き男広岡達朗

公開日: : 最終更新日:2017/02/08 人物

広岡達朗氏は1932年(昭和7年)生まれ。1949年、呉三津田高校三年時、甲子園まであと1勝と迫るが、自身の悪送球を切っ掛けに敗退。野球を辞めて広島大学か山口大学への進学を考えていたが、大学の関係者に誘われ早稲田大学教育学部へ進学。早大野球部では荒川博・沼澤康一郎・小森光生らとともに東京六大学リーグのスタープレーヤーとして鳴らし、「六大学の貴公子」と言われた。

このスローイングの指導の動画は2012年のものということですから、このとき広岡氏は御年80歳。信じられない動きですね。

現役時代は読売ジャイアンツで活躍し、引退後は広島東洋カープ守備コーチ、ヤクルトスワローズヘッドコーチ・監督、西武ライオンズ監督を歴任。監督としては、最下位球団だったヤクルト、長期に渡って低迷していた西武をリーグ優勝・日本一へと導いた。その後は千葉ロッテマリーンズのゼネラルマネージャーを経て、現在は野球評論家。

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教育は人を育てられるということを私は広島カープのコーチ時代に確信した。

それも選手からヒントをもらい教えられたのである。

選手は内野手の苑田聡彦(現・広島スカウト) である。

私は、当時の根本陸夫監督からコーチをやらないかと招聘された。

巨人を辞め、アメリカを廻り、評論家となっていた4年目のことだった。

「ヒロよ、この連中を一人前にしてくれ」

根本がそう言って指名したのが苑田や井上弘昭、西本和明、三村敏之だった。手っ取り早くいえば、素人同然の選手をあてがわれたのである。

そのときの苑田は、バッティングに見るべきものがあり、肩もよかった。

しかし、フィールディングはとてもプロと呼べるものではなかった。動きは緩慢、打球に対しての入り方は高く低くバラバラ、全体に流れがなく、一言で表わせば大雑把な内野手だったのだ。
            ・
私とて初めてのコーチである。教える自信があるわけでない。

それでも、まずはやわらかく低く捕球体勢に入っていくことから手をつけた。

手でボールをころがした。ノックバットで打球を打つ以前のことだ。くる日もくる日も同じことの繰り返しである。

彼に浴びせる言葉は「とにかく、やれ」、「手を抜かずにやれ」だった。当時の私はそれぐらいの言葉しか持ち合わせていなかった。苑田は一生懸命についてきた。

目に見える結果は出ない。私は何度かサジを投げ出そうと思ったかしれない。

1シーズンが過ぎたころだ。私は根本監督に申し出た。

「どうにもならんですわ」

根本は簡単な言葉を返してきた。

「ヒロよ、お前さんとの契約は1年残っている。引き続いてやってくれ」

そのうち、どうにか捕球から送球への流れがスムーズになってきた。それも、ときたまだ。さらに日を重ねるとボールを待つ体勢から捕球へのタイミングを掴んできた。ボールを処理する地点へ、“すーっと”入れるようになったのである。あとの動きへの流れも途切れない。

ここまでくれば、しめたものだ。

そんな折、私は苑田とそれまでのことを振り返るような会話を交わした。

「苑田、今と前とでは変化を感じるか」
「感じます」
「なんでうまくなったか分かるか」
「それが分からないんです。無我夢中で一生懸命やっただけなんです」
「そうだよな、これからも理屈はいいから、つまらんことを考えずに繰り返し繰り返しやることだよ」

その後、苑田は内野のレギュラーポジションを取ることができた。

テコでも動かずどうしようもなかった男が上手くなった。私は苑田を通して、さまざまなことを実感し、教えられたのである。

「ああ、人は教えるということ、教育するということで育つものなのだ」
「正しい教育は人を育てる。人は必ず育つ能力を持って生まれてきているんだ」
「初めは平等であって、最初から差別はできないのだ。アイツはダメだ、と早い段階で誰が判断することができるだろうか」
「すぐに答えを出せる人間は天才であって、普通はそうではない凡人なのだ」

こうして「人は絶対に育つものだ」という信念が私の内に宿ったということである。

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