曽野綾子「怠った自己犠牲の教育」

公開日: : 最終更新日:2017/02/08 人物

曽野綾子さんは1931(昭和6年)年東京都生まれ。1953年に小説家で元文化庁長官の三浦朱門氏と結婚、1954年聖心女子大学卒業、同年「遠来の客たち」で芥川賞候補となり文壇デビュー。1970年、エッセイ「誰のために愛するか」が200万部のベストセラーになりました。1979年にはローマ法王よりヴァチカン有功十字勲章を受章。

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大学卒業後にすぐ文壇デビューしたことについて曽野さんは子供時代を振り返って次のように述べています。

子供の時に、母は私に毎日曜口に作文を一つ書くことを「強制」した。子供が自発的にしなければ、教育はだめだ、というのも一面でほんとうだが、初めは強制がこうして効くことある。私は毎日曜日毎の作文の「ノルマ」がいやでいやでたまらなかった。が、とにかく母が恐ろしいので続けているうちに、次第に書くことが「楽」に「楽しく」なってきた。「楽」と「楽しい」という単語が、音は違うのに同じ宇だということは、考えさせられることだ。人はたぶんタノシクなければやらず、同時にラクでなければタノシクないのだろう。初めは強制だったが、読書が書くことの中心に位置する哲学(のようなもの)を見つけてくれたし、表現というすばらしい世界の技術も教えてくれた。
もっともこうした問題に関しては、私は古代ローマの思想家として知られるエピクテトスの言葉が一番心にぴったりくる。
「行動のうち、あるものはすぐれているからなされ、あるものは事情に応じ、またあるものは秩序の関係上、あるものはいんぎんから、またあるものは世の習いでなされる」
つまり、どうしてある大人または子供がそのことをするかなどということには、あんまり単純な答えを出しなさんな、ということである。

曽野綾子著『ただ一人の個性を創るために』より

曽野さんは作家として執筆する一方、1972年にNGO活動「海外邦人宣教者活動援助後援会」(通称JOMAS)を始め、2012年に代表を退任まで40年近く活動をつづけました。この後援会での25年間にわたる活動が高く評価され、第4回読売国際協力賞を受賞。この間の「海外邦人宣教者活動援助後援会」の活動の記録はのちに『神様、それをお望みですか』として出版されました。

曽野さんはご承知のとおり敬虔なカトリック系クリスチャンでもあり、キリスト教など宗教に関する見解もたくさん述べています。多くの著書で述べているのは

「人間の原型」は卑怯者であり、利己主義者である

という点です。

著書から紹介しましょう。

現実の暮らしの中では、私は明らかに性悪説で自分を律してきました。
カトリックの学校で育ったので、すべてにおいて、いい人などいないことを比較的若い時からわかるようになりました。キリスト教は性悪説ですから、人間はそのままにしておけば、人間の尊厳を失うほどに堕落することも簡単である。しかし、信仰によって、あるいはその人に内蔵されてる徳性によって、人間を超えた偉大な存在にもなれる、ということをきっちり教えられたのです。

曽野綾子著『老いの才覚』

イタリアにいる日本人から聞いた話では、入会した修道女たちの卵に、まずどこか有名な大寺院の前などで乞食をさせる修道院があるそうです。シスターの中には貧しい家の娘さんや、両親のない人もいますが、中産階級か上流階級の生まれで、日々の衣食に困ることもなく、知性も教養も学歴もあって、もちろん他人に物乞いした経験などない人がほとんどです。
しかし、それが当り前の自分だと思うと間違えるから、あえて乞食をさせるというのです。つまりあらゆる現世の状況をはぎ取った地点を知って、神と人に仕えよ、ということなんでしょうね。
私は、人間を育てるにはそういう発想が必要だと思います。人間の基本から叩いて叩き潰してから、人間としてスタートさせる。それこそが教育が与えられる強みだろうと思いますし、そうでないと修羅場を乗り越える力も、それより以前に、自分で物事を考える習慣も身につきません。

曽野綾子著『人間の基本』より

こうした背筋がぴしゃりと述べる見解を述べる一方で、自分を正しく、否、人間の本質を正しく把握するよう求めています。

自分にはどうしてもできないこと、どうしても嫌いなことがある、ということを発見するのは、偉大な幸運である。
人はあらゆる場所と状況から学ぶ。積極的に選んで学ぶこともしばしばあるが、いやいややったり、逃げ出したいほど辛い状況の中からも学ぶ。
その度に自分の道はこれしかない、という選択が見えてくる。

曽野綾子著『ただ一人の個性を創るために』より

勝気で、他人が少しでも自分より秀でていることを許せない人は、自分の足場を持たない人である。だからいちいち自分と他人を比べて、少しでも相手の優位を認めない、という頑なな姿勢を取ることになる。
人間は誰でも、自分の専門の分野を持つことである。小さなことでいい。自分はそれによって、社会に貢献できるという実感と自信と楽しさを持つことだ。
そうすれば、不正確で取るに足らない人間社会の順位など、気にならなくなる。威張ることもしなくなるし、完全な平等などという幼稚な要求を本気になって口にすることもなくなる。

曽野綾子著『二十一世紀への手紙』

また、曽野さんは長男をモデルとした『太郎物語』の高校編と大学編を発表し、現在も読み継がれています。

「うちのおふくろは、何でも、そのことが、立派にできないと、ダメなんだ。どうやらできた、とか、悪い点でパスした、なんてのはだめなんだ。彼女にとっては、おやじが、一生自分に対してだけ関心をもって、子供たちが、皆一族に対しても顔向けの
いいような大学を出てくれた時にだけ、自分の人生は承認できるんだ」
「まずく行ったから、子供たちも捨てて出家かあ。そんなにしてまでいい評判とりたいのかなあ」
太郎はごろりと畳の上に寝転がった。
「今はそういう形で、評判を挽回しようと思ってるらしい」
「評判なんか、どうでもいいのにな」
「うん」
藤原も素直に領いた。
「評判なんか食えないしな」

曽野綾子著『太郎物語(大学編)』より

曽野さんは1988年にフジ・サンケイグループより鹿内信隆正論大賞受賞。講演活動をこなしつつ、日本財団会長や日本文芸家協会理事、その他政府諮問機関委員など多数の公職を務めました。2013年に出版されベストセラーとなった『人間にとって成熟とは何か』で執筆された内容は、1988年の正論大賞受賞から10年後の1998年に産経新聞で書いた「有能でいて人間的でない人」と題した記事にその骨格が見て取れます。

平成10年(1998)年6月26日金曜日 産経新聞

正論25年 第一期執筆メンバー特集

幸福を賢く使える人
 私たちは誰も、自分の出自の場所、時、状態を選ぶことはできない。望むと望まざるとにかかわらず、私たちは戦前、戦中、戦後のいずれかの時に日本に生まれ、オイルショックに始る二十五年を体験して来た。
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私たちは今、日本が上り詰め、緩やかに坂を下りるターニング・ポイントに立っている。

 総じて日本は幸運な国であった、と言える。何しろこの半世紀間内戦もなかった。誰もがもう戦争はこりつりと思ったせいもあるが、日本は大陸でもなく半島でさえなかったから、誰も戦争をしかけて来るものがなかったのだ。

 もちろん幸運だけではない。日本人は誠実で正直で働き者で向学心と研究心に満ちていた。かつてそうであり、今後もそうであり続けるなら、日本の将来は希望に満ちている。なぜなら世界的に見て、それだけの資質を持った民族は例外と言ってもいいほど少ないから、である。もちろん日本人が、己を質し、豊かさに溺れない自制を知れば、の話だが。

 最近の様相を見ていると、日本人はその幸運の使い方がそれほどうまくなかったようだ。人間も同じで、どちらかと言うと、不幸の使い方のうまい人は多いが、幸福を賢く使える人となると極めて少ない。

 現在の日本は、心理的に閉塞された状態にいる、とテレビの解説者が言っていた。どうしてなのだろう。戦前、戦中、戦争直後を考えれば、私たちは今よりもっと閉塞されていた。

 「ふらんすへ行きたしと思へども ふらんすはあまりに遠し」だったのだ。しかし今では、サッカーの切符を買える当てもないのに、とにかくパリまで行ってみるか、と言える時代なのだ。そしてまた戦争中の、大新聞が挙って戦争に協力した時代を思えば、産経新聞以外の新聞が、今は少々の言論の弾圧を私たちに与え続けているだけで、かなり自由にものが言えるのである。

力が平和を解決する
 閉塞感をもたらしたのは、自らの責任であろう。日本人は、物質的な潤沢、毎日の生活が多分おだやかに続くであろうという漠然たる甘えの中で、時間と状況を通して継続的にものを考える力を失ったのだ。つまり世界では、今でもどんな上や貧困があり、未だに病気を治してもらえない人が放置されており、部族の対立が無制限の報復と殺し合いを生み、仕事のない人たちが近隣諸国からあらゆる手段を使って流れ込み、宗教や文化の対立が若者同士を恋愛に導くことさえない、という厳しい現実を知らないのである。

 日本ではいい年をした大人までが「平和を望めば平和になる」と言い、「安心して暮らせる政治を」などという子供以下の幼稚なことを夢見て暮らしている。

 
 水、金、仕事、食料、医療、あらゆるものが不足している国では、すべてが奪い合いになるから、平和は望めば得られるものではない。力が平和を解決する、と人々ははっきり信じている。

 安心し暮らせる世の中など現世にはないことは、まともな大人なら誰でも体験的にわかってしかるべきだろう。

 人生を、時間と原因結果の流れの中で考えず、今の人々は刹那的に考える。産業廃棄物がいやでも出るような生活をしながら、日本のどこででも産廃処理場を作るのはごめんだという。原発も水力発電も火力発電もいけないと言いながら、それならどこから電気を得るのかということは考えない。サッカーを見にフランスヘ行くのは当然だが、飛行場を作るのはいけない、と言う。

哲学と宗教の力
 これらの反応は、幼児的というか、利己主義の塊と言うか、分裂的と言うか、まともな大人の苦悩はどこにもないのである。「或る程度は」自分が犠牲にならねばならない、それが立派な生き方なのだ、という教育を全くして来なかった結果である。

 人間が、連続性の中でものを考えられるようになるのは、歴史や心理学もさることながら、哲学と宗教の力も大きい。宗教というとオウム真理教しか思い浮かばないという無知も、教師や親たちが読書がいかに大切なものか、を指導しなかった結果である。

 以前にも書いたことがあるのだが、宗教が本物か贋物かを判別するのは、簡単なことだ。

(一)教団が金を強要しないこと
(二)教祖に当たる人が神や仏の生まれ変わりだと言わないこと
(三)教団の指導者たちが質素な暮らしをしているかどうか、

この三つをチェックすれば、宗教の真贋は簡単に見分けられる。

 各人が意識の中で連続性を保つということは、周囲がどう変化しようとも、物質的に、精神的に自分の立っている土台を見失わないことである。周囲の力で、私たは変化せざるを得ないことも多い。しかし変化に関して明確な理由づけを常に意識しており、その変化に充分に責任を取り、喜びも悲しみも持てることである。さらにまた個人が抗おうとしても抗い切れない運命の力も認めることである。

 この二十五年間「有能でいて人間的ではない人達」がたくさん育ったのは何という奇妙なことだろう。(その あやこ)
1998.6.26

曽野さんは2003年に文化功労者。1995年から2005年まで日本財団会長を務めました。『老いの才覚』『人間の基本』『人間にとって成熟とは何か』など著書多数。

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